雛人形のためになるNEWS
オミという名の人形は、本当にぼろぼろになった布人形だけれども、くりくりした目は持ち主をじっと見てくれる一途さを感じさせる。
作者は、人形の美しさというのではなく、いかに愛されたか、その人形の物語が感じられることに価値をおいてこの絵本を描いたのだろああ、幸せな人形たち。
やはり人形はこんなふうに愛されたい。
誰がなんていったって、こうでなくちゃと思う。
また、幼い子どもたちが悲しくて泣くときの、あるいはうれしくて喜ぶときのかたわらに、寄り添うようにいるのは、こうした人形たちだ。
人形はそうした幼い者の感情を受け止めてくれる存在なのだ。
誰だってそうかもしれないが、私も人形を抱えて泣いた日があった。
ないしょの話を聞いてもらったときもあった。
姉妹のいない私は人形に特別な親しみを持っていた。
人形がほかのおもちゃとちがうとすれば、そばに「いる」ことなのかもしれない。
物より人に近いのではないだろうか。
そもそも、名前があるということが人に近い。
そして、ここに描かれた人形たちが幸福そうなのは、なんといっても持ち主にかわいがられた「記憶」をとどめているからだ。
そう、人形は愛されるために、かわいがられるためにいるものなのだから。
そして、作者はそれぞれの人形を描く中に子どもたちにかわいがられ、愛された記憶を写しとっている。
どの人形もおだやかな顔をしているのは、そんな記憶にたゆたっているからだろうか。
この作者はきっと人一倍人形が好きだから、それぞれの人形の生きてきた時間や記憶が醸しだす雰囲気を絵にできる人なのだ。
なぜならば、一つ一つの人形はみんな違った歴史を生きて今にいたっているのだから、どれ一つとして同じ人生(人形の)というのはないはずだ。
この絵本は、ぱらっと見ると、いろんな人形やぬいぐるみを描いた絵本に見えるかもしれない。
けれども、よく見、読むと、一つ一つの人形の物語が想像できて、むしろとっても味わい深い一冊だ。
絵本ながら読みごたえがたっぷりある。
本を読んで、自分の人形と暮らした日々を思い出すことができた。
きっと、あなたも、あなたの幸福な幼い日々を思い出すに違いない。
誰でもそうだと思うが、小さな頃の雛祭りは、特別なものだった。
私の家では、まず、いつ、お雛さまを飾るか、日にちを決めることからはしまった。
そして、いよいよ当日は天袋に納められたお雛さまを取り出して、箱を開け、雛人形の顔に巻いた薄紙をはがし、一つずつ赤い毛脱の段々の上に並べていく。
それだけで、もう大興奮。
何度も眺めては喜んだ。
夜はお雛さまといっしょの部屋に寝るということで、はしゃいでしまって、なかなか寝つけない。
お雛さまの飾ってあるあいだは毎日ちらし寿司やら、吸い物やら、ちゃんとお膳がお雛さまにも運ばれる。
それなのに、三月三日が過ぎると、「早くしまおうね」と、母がせかす。
長く飾っておくと、娘がなかなかお嫁にいけないからといういい伝えを母は信じていたのだ。
雛祭りというと、そんなことを思い出すが、そこに父の影はない。
あくまで、母と娘である私の行事だった。
この『三月ひなのつき』も母と娘の話だ。
主人公よし子は十歳。
お母さんと二人で暮らしている。
お父さんは前々年の三月三日に亡くなった。
よし子の家にはお雛さまはない。
よし子はお雛さまが欲しいと思っている。
よし子のお母さんのお雛さまの話を聞いているから、よけいに欲しいという思いが募っているのかもしれない。
よし子のお母さんは小さいときから一風変わったお雛さまを持っていたのだった。
それは戦争で焼けてしまったけれども、お母さんは毎年出したりしまったりしてきたので、そのお雛さまのことは細部までしっかり覚えている。
そのお雛さまは全部が一つのうるしの箱に収められているものだった。
この箱のお雛さまの描写は細かい。
一章全部が雛飾りのはじめから、しまい方までで占められているほどだ。
雛飾りの中でも主役のお雛さまたちを飾るところはこんなふうだ。
さて、ひな段は、塗りの箱にのせると、ぴったりはまる大きさでした。
それから、ひな段のーばん上の、一ばんおくに、まきあげたみすと、そのむこうの遠い山々をえがいたついたてをたてると、あとは、おひなさまをかざるばかりです。
まず、小箱のなかでも、一ばん大きな箱をとりあげると、そのふたには、つづけ字で、「木彫、有職びな」と書いてありました。
これをあけると、おひなさまのなかでもーばんだいじな内裏びなが、白い紙に包まれて出てきます。
木彫りですから、ふたりとも冠をかむり、衣冠をただした上から、色が塗ってあるのですが、女びなは、右手に扇をもち、男びなは、短い刀をさしていました。
このふたりはもちろん、一ばん上の段にのせるのです。
このあと、「官女三人≒楽人五人」の姿や持ち物の描写がつづく。
「小道具一式」の箱もある。
おかあさんは、小さいとき、この箱をあけるのを、どんなにたのしみにしていたでしょう。
小さなおひなさまの、小さなお道具が、みんなこのなかから出てくるのです。
まず最初にさがすのは、内裏びなのそばにおくものです。
女びなには、まるい、平らな赤い箱にはいった鏡があり、男びなのためには、刀かけがありました。
それから、その外がわに燭台が一つずつ。
これも、かわらけに油をつぎ、灯心をいれてともす式の、古風なあかりでした。
そして、その外がわに、金色のおとぎ犬がー匹ずつ。
これは、犬というより、ねこがねむっているのに似た、かわいいおもちゃですが、ほんとは、なかががらん洞で、箱になっているのでした。
むかしの人は、このような箱のなかに、化粧道具やお札をしまって、魔よけにしたのだそうです。
と、こんなふうに、雛飾りのこまごました説明がつづく。
よし子は、お母さんのお雛さまのことを何度もこうして聞かされていた。
お母さんはこんなに立派なお雛さまをもっていた。
けれども、よし子にはない。
幾つになっても、三月の節句に飾られるのは夫婦びなを描いた色紙なのだ。
よし子が近所の三光ストアで見たお雛さまを欲しいと頼んでも、お母さんは「いい」とはいわない。
このあたりを読んでいると、いくらお母さんのお雛さまがよかったとしても、よし子にはよし子のお雛さまがあっていいのにと思ってしまう。
お母さんのかたくなにほかのお雛さまを拒む気持ちに寄り添っていけないのだ。
よし子が、「どうして三光ストアのじゃいけないの?」と聞いたときのお母さんの返事はこうだ。
「どうせ、ああいうところにあるのは、金ぴかの安っぽいのだって、お母さん、見なくてもわかってるから」
ここには、お雛さまをめぐっての、母と娘の小さな葛藤が書かれている。
ついに、よし子はこういう。
「あたし……あたし……」
よし子はどなっていました。
「やすっぽいのでいいのよー。安っぽい、金ぴかのであたしはいいのー」
「よし子!」
よし子はそれまでいえなくて、心の内に抑えていたことをついにいってしまう。
これでこそ、子どもだと思う。
お母さんの自慢のお雛さまの話を諾々と聞いているだけでは、なんだか変だ。
母と娘の関係は十歳ともなれば、反発があって当然だ。
この母娘もこうして自分たちのあり方を変化させていく、その契機になるのだ。
こうしたことがあったあと、次の土曜日に二人は新宿に行って、大きなデパートで立派なお雛さまをたくさん見る。
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